国宝 鑁阿寺 (入場料無料)
〒326-0803 栃木県足利市家富町2220
TEL.0284-41-2627
FAX.0284-41-1136
電車の場合
【東武・伊勢崎線】 東武足利市駅 北口を出て、中橋を北へ約5〜10分。お堀が目印です。
【JR・両毛線】JR足利駅北口を出て県道67号線を西に。2丁目の信号を北に。お堀が目印です。
【自動車の場合】北関東自動車道 足利ICから10分m。国道293号を市役所方向に進む。
※境内 駐車場50台(無料) ※太平記館 観光駐車場(無料)
周辺ガイド
樺崎 八幡宮
足利義兼(よしかね)が、建久年間生母菩提のために、理人上人(りしんしょうにん)を開山として法界寺を創建。法界寺は鑁阿寺を壇上とした奥院で、義兼自身もここに住み念仏三昧し、正治元年に当地で入寂。
樺崎八幡宮は、義兼の入定後、子の義氏(よしうじ)によって八幡神を合祀(ごうし)したことに由来。
法界寺は、明治以降廃寺となりましたが、この地は樺崎八幡宮を含めて、足利源氏関係の遺跡として極めて貴重なもの。
足利学校
足利学校は、日本で最も古い学校であり、その遺跡は大正10年に国の史跡に指定されています。
足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439)関東管領・上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからです。
足利学校は、応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、学問の灯を絶やすことなくともし続け、学徒三千といわれるほどに隆盛し、天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。
江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年に幕をおろしました。